酒場遺産
ディープジャパン。今や都市開発の中で消えようとしている古くから続く酒場。日本の生活文化が凝縮されている酒場を「酒場遺産」と名づけた。これから十年後、ここで紹介する酒場のうちいくつが残っているだろうか。
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幸兵衛(立川錦町極小空間 絶品焼豚)
国立から羽衣商店街を立川に向かって歩いていると、偶然に昼間から扉を開け放している居酒屋が目に入った。目に入った同時に、これは本物だと直感した。比較的新しいビルの一角に入っているのだが、本物の酒場のオーラが立ち上っていたのである。ビルの角の1階の非常に小さなスペースで、男達五~六人が昼から酒を呑んでいた。

しばらく店の外から中をうかがってから、暖簾をくぐってはいると、カウンターに座っている、酒でかなりいい気持ちになっている紅一点の姉さんが「何か怪しい人かと思ったよ。この人なんか顔を隠していたんだよ。」と言って、カウンターで競馬中継に夢中になっている男のひとりをからかう。私は、常連ばかりが集まるというこの店に突然入った。こんなことは珍しいのか、初めはお客さん扱いだったが、段々と酒が入りうち解けていった。「この店は立川で一番汚い店なんだ。」と客のひとりが自慢げに言う。

 カウンターの女将さんは六十歳くらい、以前は毎日開店していたのだが、体をこわしてから、土曜日と日曜日しか開いていない。営業時間も大体昼頃から、夕方はお客がいなくなったら閉めるんだよ、と言う。客は、ほとんど常連ばかりで、男は全員ギャンブラー、この時も五人の五十ー六十歳の男達が、野球帽を被って、中山卯月ステークスのテレビに向かって熱狂していた。ひとりカウンターの端に座っていた「紅一点」の姉さんも同年代で、近くでお好み焼き屋をやっており、女将さんとは息子が同級生だったとかで、この店の常連になっていると話してくれた。

三畳の極小空間
 この店の空間について触れたいと思う。店の広さは三畳ちょうどくらい。空間構成には全く無駄がない、と言うより、よくこれだけのスペースに厨房、収納、カウンター、八座席を詰め込んだものだと感心した。建物の角にあり、二方が道に面した開口となっている。カウンター席はL字型になっており、カウンターの席に座るのは、道から直接出入りしなければならない。季節がよいこともあってか、建具は開け放してあり、店と街の空間は一体化している。都市空間と内部空間が狭いが故に、図らずも一体感を持って、それがまたこの店の空間的な魅力となっている。

 それでもこの店の造りは、決して安普請ではない。小さな空間にしっかりと造り込まれた造作はキチンと計算されたもので、無駄がない。初めにつくりこんで、大切に使っていく。それは店の造作だけにでなく、料理への対応、お客に対するサービスにも通じるものと見た。魅力的な酒場は、どれほど古くなっても安普請の改装などせず、良いものを磨き込んで使い、時間の蓄積を味方にする。「古い、安い、旨い、媚びない」が、魅力的な無頼酒場の条件ならば、この「幸兵衛」はその見本だ。最小限の空間で、手を広げ過ぎず、自身のあるものだけを出す。カウンターに並ぶ女将自慢の惣菜、煙で燻されたメニューの木札、どれもとても素敵だった。

 店には当然のことながら客用トイレはなく、一旦店を出て、すぐ左に回ったところに、道から直接入るつくりになっているトイレがある。思い鉄の扉を横に引けば、そこに便房がある。氷も目の前のコンビニに買いに行く。しかも女将が買いに行くのではなく、常連のひとりを店に走らせる。焼酎をロックで飲む客はあまりいないのか、収納を減らすためか、すぐに溶けてしまう氷などおいていない。とても合理的でよく考えられている。狭いが故に、店で完結せず、街の機能と空間を上手に使っている。これが店の魅力になっているから面白い。

絶品の料理
 幸兵衛の料理はどれも絶品である。大袈裟ではなく、こんなに美味いものを出す酒場には滅多に出逢うことはない。メニューは数が限られていて、お通し三百円、焼き豚百円、焼き魚五百円のみである。飲み物はビール、ウイスキー、日本酒である。私は焼き豚を計四本、焼き魚にビールと焼酎のロックを呑み、勘定は二千円を超えなかった。出るときには、無料の梅干しをいくつか戴いた。モア・ザン・リーズナブルである。

 絶品の料理について説明したい。まずお通しだが、これはタケノコと蕗を煮込んだもので、特にタケノコは大切りにも関わらず、味が良く染みこんでいる。美味しい。焼き魚は、あまり見たことのないもので、女将さんに何の魚ですか、と訊いても、何だったかねえ、美味しそうだったんで市場で買ってきたんだよ、といった具合だ。しかし実際、その魚はとても美味かった。カウンターに、今日の分だけ十尾くらい積み上げてあった。

 女将が、焼き豚は塩とタレとどっちにする、と言うので、いつものように「塩で。」とたのんだ。すると、酔った男のひとりが「何で塩にしたんだ」と絡む。「素材の味が良さそうだからよ。」と答えると、馬鹿言っちゃいけない、ここの焼き豚はタレに決まっているんだ、と言う。それなら、初めからタレだけ出せばいいじゃない、と思ったが、結局、塩とタレと両方を頼んでしまった。

八四歳の一代目がつくる秘伝のたれ
 焼き豚は、塩も確かに素材の旨さを引きだしていてかなり旨かったが、男の言うとおり、タレはそれこそ絶品であった。「何、このタレは!」と言うのが初めの感想である。甘くなく、香辛料が利いていて、味が深い。初めは、酒を加えているのかなと思い、そう訊いてみたが、酒は入っていないと言う。何でも、この女将さんは二代目で、八十四歳になる一代目の秘伝のタレなのだという。女将さんもその作り方はよく知らず、今でも一代目の母親から貰うのだという。

 一代目は、高齢でもまだ現役で、多摩でもう一軒の「幸兵衛」を開いている。立川から新しくできたモノレールで多摩動物公園行きに乗り、帝京大学で降りて住宅地を五分ほど歩いたところにあるらしい。こちらの方は、日曜日以外夕方の五時から十一時まで開いていると言う。電話を教えてくれた。0426-77-6331。今度行ってみることにした。

戦後の創業から区画整理へ
 女将とカウンターの姉さんから、この店の成り立ちについて訊いた。店の創業は、今帝京大学で二軒目の店をやっている一代目が、戦後すぐに始めたものである。この店の場所から東側は、GHQの指定地であった頃である。しかし、店の客にアメリカ人はほとんどいなかったという。店の前の通りも、今は十m近い幅員があるが、当時はほんの二メートルの狭い道だったらしい。木村聡「赤線跡を行く」(ちくま書房)によれば、立川には戦後ふたつの進駐軍向けの接待所(RAA=Relaxation and Amusement Association)があり、当時、州崎(現在の江東区木場当たり)の大手の遊郭業者がこの地域に入り込み、設けたものであるという。この後にカフェー指定地となり、二十四軒の遊郭が軒を連ねていたという。この店は立川の米軍基地から、遊郭街へ続く道沿いにあったので結構、繁盛したらしい。当時は二軒先の下駄が大家の木造二階建ての建物の一角にあったが、二十年前の区画整理を機に、現在の鉄筋コンクリート造のビルに建て替えられ、道も拡がり街の様相は一変した。

 その頃、二代目が引き継いだと言うが、それ以来、二代目女将も店の常連客も、メンツが変わっていないらしい。木造二階建てだった当時から来ていたらしく、皆つい昨日のような調子で話す。

 「当時はみんな若かったよなあ。」と誰かが言う。歳をとっても、みんな野球帽を被って、少年のようにワイワイガヤガヤ楽しそうだ。みんな、見たところ五十~六十歳代だから、二十~三十歳台の頃か。永い時間を超えて、今でも当時の空気を残している。女将と常連達のための空間が、そのまま彼らの存在と共にここにある。

 この店の前を通りかかったときに、確かに何か訳の分からないオーラを感じた。そしてこの店には、開発の進む立川の街からタイムスリップした時空があった。その空気が街に滲み出していたのだ。(志)
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body> このごろ酒場や居酒屋の本が充実してきました。私は太田和彦氏、吉田類氏、大川渉氏の本を愛読しています。中でも大川渉氏らの著した「下町酒場巡礼」は名著。紹介されている酒場の幾つかはこの10年間に姿を消しました。 https://www.fis.jfma.or.jp/fis/front/htm/research/scm10/image/scm10_2003wwp_dallas_illust.pdf