酒場遺産
ディープジャパン。今や都市開発の中で消えようとしている古くから続く酒場。日本の生活文化が凝縮されている酒場を「酒場遺産」と名づけた。これから十年後、ここで紹介する酒場のうちいくつが残っているだろうか。
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一平(立川錦町一丁目場末酒場)
立川錦町の細い商店街は、立川駅と国立駅の中間にある。商店街と言っても、小さな飲食店や美容室などと、その間に場当たり的に建てられたマンションやアパートが混在する、場末の雰囲気を漂わせた細い道である。立川駅南口から東へ向かい、広い羽衣大商店街を歩き、薬屋の角を斜め左の錦町商店街に入ったあたりは、戦後GHQの指定地域であり、その後、昭和三十三年に売春禁止法が施行されるまで、いわゆる赤線として受け継がれた場所である。今でも、昔風の洒落たカフェー風の建物が残っていたり、花柳流の稽古場があり、過去の記憶を僅かに残している。

取り残された一角
 錦町商店街を立川側から歩くと、途中、黄色い電車の南武線の踏切があり、それを越えると「日本自動車学校」という立派な名前の自動車教習所がある。その敷地内には、古ぼけた「最上食堂」が立つ。すぐ横を赤い中央線の快速が走る。錦町商店街の一帯は、開発著しい立川と、学園都市の国立に挟まれていながら、開発から取り残されているように見える。太い表通りには、背の高いビルが建ち並び、日照が遮られ、また中央線と南武線の軌道敷きに囲まれた騒音の酷い不人気な場所なのだろう。エアポケットのように、周囲から取り残されているように思えた。

 週末、時々近所を散歩して飲み歩く。錦町商店街は国立からほど近く何度か歩いたことがある。この通りと交差する路地沿いには、今にも崩壊しそうな四件並びの背の低い居酒屋があり、ずっと気になっていた。日も暮れたある日、立川からの帰り道、四軒のうち三軒にはあかりが灯っていた。昼間とは違ったオーラを発していた。その三軒の構えを見比べ、一番妖しいオーラを発している、左端の店「一平」に入る。「ビール五百円、日本酒四百円、その他各種お飲物あり。おつまみ三百円より各種。その他お客さまのご要望に応じて料理をお作りします。一平のお店にいらしたお客さまみなさまが、よいお友達になって下さい。そしてあなた様の生活が今以上に楽しく、また向上してくださることを願います。一平」

昭和二十六年創業
 狭い間口の一平の引き戸を開けようとするが、なかなか開かない。扉は割れたガラスを半透明の波板版で応急処置したままの状態で、戸車がレールに乗っていない。そもそも最近の店で、こんな戸車の引き戸は珍しい。ガタガタと、どうにか木戸を開け中にはいると、主人がやってきて、「すみません。私が閉めますから。」と言う。中は今にも倒れそうな店構えに比べて小綺麗な造りであった。右側にカウンターがあり、座れるのは最大五人。左側には畳の小上がりがあって四人まで座ることができる。カウンターはしっかりした造り。カウンター内の棚はベンガラ色に塗られ艶めかしい。

 この店は原田さん老夫婦が経営している。カウンター内で奥さんが、料理をつくっており、ご主人の原田さん、田園調布から来たという五十歳くらいの男、そして常連の老女がカウンター席に座って酒を飲んでいた。一番活発な男の客はしばらく主人と話した後、電車がなくなるからと帰っていった。そしてその後、焼き鳥と日本酒をゆっくり飲みながら、この店の歴史について聞いた。

立川南口馬券売り場にあったバー
 ご主人によれば、この店の前身であったバーは、今のJR立川駅南口とこの店の中間あたりにある馬券売り場、現在はのWINDSのあたりにあったという。道幅も狭く、たった二mほどだったらしい。その場所で戦後間もない昭和二十六年から、九人のホステスを抱えるバーを経営していたというから、かなり羽振りが良かったはずである。九人のうち三人は住み込みだったという。

 当時、立川錦町・羽衣町はいわゆる指定地であったから、米軍のお客を相手にしていたのだろう。現在七十歳を越え、穏やかでいい味を出しているご主人の原田さんも当時は遊び好きで、遊郭に通い詰めたらしい。「僕もいろんなことがあってねえ。」というご主人の話に、カウンターの奥さんは動じず渋い顔を崩さない。そして道路拡幅と区画整理で立ち退いた後は、現在の店がある元赤線地帯であるこの場所が、代替地として与えられたという。昭和六十年のことである。

 それ以来、二十年近くこの場所で店を構えてきた。ご主人に話では、南武線の踏切の手前からこのあたりまでが錦町の指定地、向こう側が羽衣町の指定地で、錦町の方がランクが少し上だったらしい。羽衣町はその後の開発で、当時の面影が全くなくなっているという。

一杯の美酒 平素安泰
 カウンターの後ろには、ご主人の書いたらしい色紙「一杯の美酒 平素安泰」が額縁に入っていた。若いときに遊び尽くしたご主人がこの小さな店へと移り、それから大事にしてきたものが、お客にとっての安息の場であることだという。人と人のつながりを大切にし、ご主人は「一平の会」というグループをつくり、多いときは百人を超えるメンバーで、季節ごとにバスをチャーターして旅行を企画したという。

 現在、「一平の会」は十数人に縮小してしまったけれど、それでもこの小さな店に来ていただいた客は、誰でも精一杯歓迎するのだという。そう話すご主人の笑顔はとても柔らい。私は何となく、この店を教会のような存在だと思った。私も二十歳代の頃、よく異国を旅したが、どんな場所でも教会だけは見知らぬ旅人を拒まずに受け入れてくれた記憶がある。そうした安息の場所が存在するというだけで、心が強くなるものだ。私自身はクリスチャンでも何でもないが、教会がどこにでもある西欧の国々を羨ましいと思ったことがある。「一杯の美酒 平素安泰」は、場末の小さな店ながら安息の場でありたいというご主人の想いを、精一杯に表しているように思えた。

延寿鶴とつまみ
 私たちがこの店で食したのは、マグロ刺しの突き出し、ハツ焼き四百円、塩辛二百円であった。そして「延寿鶴」という初めて聞く名前の酒(1合四百円)を熱燗で3合ばかり飲んだ。マグロの突き出しは赤身だが、上等なものであった。ハツ焼きは鳥のハツを油で炒めた家庭料理風にもので、素朴だがさりげなく旨かった。塩辛はスーパーなどで売っているビニル詰めのものだったが、一袋分丸々皿に盛ったので5人分くらいの量があった。これで二百円は、恐らく原価と変わらないだろう。特に旨くはなかったが、その素朴さが嬉しい。熱燗の延寿鶴は辛口端麗。銘酒とまでは行かないが、結構いける酒だ。ラベルを見ると茨城県に蔵元があるらしい。銘酒、アップにも載っていない酒だが、なかなか旨い酒だった。念のためインターネットで検索してみたが、該当するものはなかった。

 約二時間、酒とつまみを食し、主人夫妻と話しながら過ごしたが、勘定はたったの千五百円だった。お客は他に二人のみ。先に帰った男の勘定は千八百円だったから、一日の上がりはいくらなのか。そんなことを心配しても仕方ないと思うが、老夫婦がどうにか生きていけるだけの稼ぎはあるのだろうか。羽振りの良かった頃から段々と細くなって、いずれ消えゆくだろうこの店と一緒に、この老夫婦も消えていくのだろうかなどとと考えていたら、何だか悲しくなってきた。

男は放っておきなさい
 ご主人との話が、カウンター隣に座っていた女性に主人が話しかける。カウンターで渋く料理をつくっていた奥さんが急に能弁になった。「あんた、男はどんなことをしても好きなようにしか生きないんだよ。放っておくのが一番。」と言う。傍らのご主人は、参ったという顔で笑っている。人生いろいろあるからさ、あんまり喋らなくてもいいんだよ、と言う。何十年も山あり谷ありの時間を超えて、それでも夫婦であり続けているふたりの数少ない言葉は深い。

 永い時間を経て、この小さな店に至るまでの時間。それを思うと、この店がご主人夫婦の人生そのもののように感じられた。(志)
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body> このごろ酒場や居酒屋の本が充実してきました。私は太田和彦氏、吉田類氏、大川渉氏の本を愛読しています。中でも大川渉氏らの著した「下町酒場巡礼」は名著。紹介されている酒場の幾つかはこの10年間に姿を消しました。 https://www.fis.jfma.or.jp/fis/front/htm/research/scm10/image/scm10_2003wwp_dallas_illust.pdf